お米と日本人【JAコラム】
お花見弁当
伝承料理研究家●奥村彪生
驚くかもしれませんが、弁当は中国の浙江省杭州辺りがルーツです。「便当」と書きます。食べ物を容器に入れて持ち運びができ、当座に便利の意味です。
この「便当」の文化が室町時代に京都に伝わり、辨当、さらに弁当と書き改められたのです。便は便所や便痢(下痢)に通じ、食物としてふさわしくなかったからです。
花見弁当が盛んになるのは、絢爛(けんらん)たる文化を迎えた安土桃山時代です。京都の町衆(商人)たちは、とっくりや杯、取り皿、幾種類もの酒肴(しゅこう)をコンパクトに組み込んだ重箱を提げ、花見へと繰り出したのです。なんと即席のいけす水泉を作り、コイやフナ、アユなどを泳がせて、刺し身や焼き物にして興を盛り上げました。締めくくりは焼きおにぎり。これにツクシや菜の花のあえ物が付きました。
貨幣経済が発達する江戸元禄時代に入ると庶民にまで花見弁当が広がり、桜の名所へと人々はめいめい手作りの弁当を提げ、妖艶な色香を漂わせる花の下で、花より団子、飲食を楽しみました。
江戸や上方だけではなく、地方の農村にもこの花見弁当が広がり、明日への英気を養うと同時に今年の豊作を願ったのです。
桜のサは稲の神様、クラはその居場所。花の咲き具合で吉凶を占ったのです。
戦後の食料の乏しい時代でも、漫画『サザエさん』の磯野家は家族そろって満開の桜の木の下でささやかながら、和やかな宴を開いています。今もなお、庶民の楽しみ。花見弁当は親族、友人、社会の絆を強く結んでいるのです。
なぜに日本で弁当文化が発達したのでしょう。その秘密は日本の米にあるのです。冷めてもおいしいからです。おかずもその通り。近年の米はさらに進化して、調理法に合った米が開発されています。世界に向かって自信を持って輸出ができる時代を迎えました。
広報通信3月号より