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おはぎ【JAコラム】

2021年09月20日コラム

伝承料理研究家●奥村彪生

お彼岸は年2回あり、春の彼岸にお供えするのがぼたん餅。略してぼた餅。秋の彼岸には萩(はぎ)の餅ことおはぎを供えます。私が子どもの頃は家で作りました。粒あんときな粉の2色でした。

まず、粒あん作り。自家栽培の小豆を洗ってゆでます。半農半漁の小村のこと、都会のお菓子屋さんのようにゆでこぼしをしてあくを抜くことはしませんでしたが、小豆がゆで上がってつぶれる頃に浮いてくるあくは丁寧にすくい取りました。だんだん煮詰まってくると、当時は貴重品だった砂糖を放り込み、混ぜながら煮詰め、鍋底に木じゃくしで一文字を書けるようになると、母はしょうゆを垂らしていました。甘味を強く感じさせることと、香りを付けるためだったようです。きな粉は前の晩にいって手回しの石臼でひいて作りました。これは子どもの私らの夜なべ仕事。石臼を速く回転させると、母に「隣のおばあさんが居眠りするように、ゆっくり回さんせ」と叱られました。ゆっくり回すと石臼は子どもには重い。「えらい(つらい)目せん(しない)とうまい物が食えんのやな」と子ども心に思いました。けれどもゆっくり回すと、きな粉は実に細かくひけました。それをふるってあん入りのおはぎにまぶしました。

餅はもち米とうるち米を合わせて炊き、砂糖を混ぜ、すり鉢に入れてすりこ木で半つきに。この半つきの餅を丸め、粒あんを着せるのですが、子どもの私のおはぎは所々、半つきの白い餅がのぞきます。母は「夜船やッ」と言って笑うのでした。夜船はどこの岸に着くか分からん、と言うのです。

ところで、私が指導している東北のスーパーで、この粒あんにブルーベリージャムやチョコレートを忍ばせたら思いの外よく売れました。老いも若きも嗜好(しこう)は確実に昔と変わっています。食を楽しむ時代に成長しているのです。農業もそうありたいと思います。

JA広報通信8月号より

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