粥は米の炊き方の基本【JAコラム】
2022年01月23日コラム
伝承料理研究家●奥村彪生
漢文学者の白川静氏によれば、粥(かゆ)は米の食べ方を示す象形文字だそうです。米を挟んでいる二つの弓は白米を水と共に鍋に入れて火にかけ、煮立ったときに立ち上がる湯気を象形しているというのです。
わが国で本格的に水田稲作が始まった弥生時代には、水分の多い汁粥と水分の少ない固粥(かたかゆ:焦げ付かないように水分を少し残して炊いた飯)があったようです(『和名類聚抄〈わみょうるいじゅしょう〉』)。当時使われていた素焼きの鍋では現在のような飯は炊きにくく、焦げ付くとおこげが鍋から離れず二度と使えなくなります。
飯が宮廷で常食になるのは飛鳥・奈良時代ですが、もしかすると固粥だったのかもしれません。または、奈良時代には木製の蒸し器があったようなので、もしかすると中国や東南アジアの人たちが作る湯取法だったかもしれません。白米を水から煮て沸騰したらざるにあげ、水を掛けて「おねば」を捨てて蒸す方法です。現在の炊き干し法が誕生するのは釉薬(ゆうやく)を掛けた陶製の羽釜が出現する平安時代から鉄釜が出現する鎌倉時代。
さて、平安時代のお公家さんに好まれたのは朝粥。昨夜の酒の飲み過ぎで乾いた喉と胃を癒やすために喜ばれたようです。やがて中国から1月7日の人日(じんじつ)の食べ物として7種の野草の羹(あつもの:スープ)の食習が入って七草粥になったという説があります。宮廷ではこの日は叙位の日に当たり(『延喜式』)、殿上人は名を成すことを願って競って食べたようです。豊作を願う1月15日の小豆粥は奈良時代からとみられます(『正倉院文書』)。
飽(乱)食時代の現在、ビジネスパーソンに粥定食の人気が上昇しています。
JA広報通信12月号より